松浦寿輝

MATSUURA HISAKI

詩 Poetry


「逢引」(『冬の本』青土社、『松浦寿輝詩集』思潮社現代詩文庫)

 

1 駅から駅へ。春日を発車して白山に近づいたあたり、都営地下鉄三田線の車輌のなかで、無色のめまいにおそわれる。まばたくたび、そのつど世界はほんのわずかずつ死んでいるのだ。何もかもが、決して目に見えない遅さで絶えず死につつある、死んでゆく。見つめいているぼくの瞳も、また。かすかな耳鳴り。午後三時。蒸暑い車内の空気は重くよどんでいる。

(中略)

8 改札口をぬけ、うすぐらい通路をのぼりつめて外に出る。咲きだした百日紅の花が、視界にやさしく沁みこんでくるようだ。まばたき。とざすこととひらくこととの一瞬の交替。そのたびにすこしずつ死んでゆくまばゆい粒子たち。だがぼくには、それはいくらかはげしすぎる。むしろとじもせずひらきもせず、たよりないまなざしをただぼんやりと半透明に漂わせておきたい。瞼のまばたきは、夏の日ざかりの微風にさやさや揺れている葉のような、ただしずかなざわめきであればよいとおもう。その音のない振動で、ぼくのものではない街の風景に向かって、信号をおくりつづけていたいとおもう。

9 いつまでも、その手前にとどまること。瞳がむずがゆい。血の疼きはひととき忘れていよう。ぼくのも、きみのも。舗道のうえを、塩辛蜻蛉が一匹、すいー、すいーと飛んでいる。きみは、いつでも遅れてやってくるんだね。ほのぐらい部屋に、さっきまで誰と一緒にいたのですか。うっとりとまなざしを曇らせながらさしだしてくるきみの柔らかな若い唇は、頸筋は、乳首は、まだ、誰かの接吻の花粉にまみれているみたいだ。はげしい陽光に灼かれて、あたりをゆきかうひとびとの表情はみなかぐろく翳っている。

 

松浦寿輝による、トポスでの「逢引」の朗読(土地への記憶化)

2021年11月27日(土)14:34〜14:41

Longitude: 139° 45' 7.53" E Latitude: 35° 43' 16.512" N

旧白山通り

 
 

松浦寿輝 MATSUURA HISAKI

1954年東京生まれ。詩人、小説家、東京大学名誉教授。1988年、詩集『冬の本』で高見順賞受賞。1995年、評論『エッフェル塔試論』で吉田秀和賞、1996年『折口信夫論』で三島由紀夫賞、2000年『知の庭園――19世紀パリの空間装置』で芸術選奨文部大臣賞受賞。同年「花腐し」で芥川賞、2004年『半島』で読売文学賞、2005年『あやめ 鰈 ひかがみ』で木山捷平文学賞、2009年、詩集『吃水都市』で萩原朔太郎賞、2014年、詩集『afterward』で鮎川信夫賞、2015年、評論『明治の表象空間』で毎日芸術賞特別賞、2017年『名誉と恍惚』で谷崎潤一郎賞、2019年『人外』で野間文芸賞を受賞。他の小説作品として、『もののたはむれ』『幽』『巴』『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』『川の光』『月岡草飛の謎』、評論・随筆作品として、『口唇論 記号と官能のトポス』『平面論 一八八〇年代西欧』『官能の哲学』『散歩のあいまにこんなことを考えていた』『黄昏客思』など。2019年、日本芸術院賞を受賞。日本芸術院会員。