伊藤比呂美
ITO HIROMI
詩 Poetry
『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』講談社
そんなときにお地蔵様のうわさをききました。近所の長屋の何某、お地蔵様で線香売りをしているという婆さんが、こないだもお米を借りに来て、こんな極貧のうちによく米を借りに来ると思うけど借りに来てるんだから貸してやれと亭主がいうし、貸してやったら何某がこういいました、おトヨさん、一回お詣りしてごらんなさい、どんな苦も抜けるからと。いわれるとおりにいってみました、あんまりすごいしと出で、線香売りの何某が立っていないかと探したけど見つからなくて、てきとうな線香売りからお線香を買って、しと波にもまれながら大きな香炉に投げ込んで、煙を手でこっちにしきよせて、連れていた小さな娘の喉を撫でてやって、
咳が止まりますように。
顔を撫でてやって、きれいになりますように。
頭を撫でてやって、かしこくなりますように。
肩や腹を撫でてやって、じょうぶになりますように。
じぶんの子宮の上をそっと撫でて、これ以上苦が多くなりませんように。
股の上を撫でて、たつ五のうわきがおさまりますように。
胸を撫でて、苦がすべて抜けていきますように。
首を撫でて(咳が止まりますように)
目を撫でて(目の疲れがなくなりますように)
肩を撫でて(肩こりがなくなりますように)
まあ子の苦労がなくなりますように。
ちよ子の苦労がなくなりますように。
それから長いこと並んで、小さな石のお地蔵様をあらった。
この苦が。
あの苦が。
すべて抜けていきますように。
伊藤比呂美による、トポスでの『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』の朗読(土地への記憶化)
2021年11月27日(土)10:21〜10:23
Longitude: 139° 44' 7.65" E Latitude: 35° 44' 8.208" N
巣鴨高岩寺(とげぬき地蔵)境内
伊藤比呂美 ITO HIROMI
1955年、東京都板橋区生まれ。過激な言葉づかいと身体性、独特なリズムで現代詩を書き始める。朗読にも力を入れる。80年代に熊本に移住する。『良いおっぱい悪いおっぱい』で育児エッセイの分野を開拓する。90年代にカリフォルニアに移住する。西日本新聞で人生相談を始めて今にいたる。2000年代には、樋口一葉・日本霊異記・説経節・仏典等、古典の翻訳をやり始める。
『河原荒草』『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』等々、説経節と現代詩が融合した語り物の世界を作ってきた。『女の絶望』『女の一生』『たそがれてゆく子さん』『父の生きる』等々、女の生活を通して生きる死ぬるをみつめてきた。『読み解き般若心経』『新訳説経節』『切腹考』『いつか死ぬそれまで生きる』等々、古典や仏典の現代語訳を通して生きる死ぬるをみつめてきた。『犬心』『木霊草霊』『道行きや』等々、植物や自然を通して生きる死ぬるをみつめてきた。
2018年に犬連れで帰国。3年間の早稲田大学教授(任期付)を経て、現在熊本で、増えた犬猫、そして植物と暮らしている。